
日本のスーパーコンピュータの歴史を語るうえで、「京(けい)」と「富岳(ふがく)」は避けて通れない存在です。どちらも理化学研究所と富士通が開発した国家プロジェクトの成果であり、世界のスパコンランキングで頂点に立った実績を持ちます。
しかし、この2機がどれほど性能が違うのか、そして富岳が「京」から何を受け継ぎ、何を進化させたのかを正確に説明できる方は意外と多くありません。個人的に計算科学の分野に触れてきた経験から言うと、この2機の違いを理解することは、日本のものづくり(monozukuri)とシミュレーション技術の進化そのものを理解することにつながります。
この記事で学べること
- 「京」は世界初の10ペタフロップス超えを達成し、2011年に世界1位を獲得した。
- 富岳は理論性能で「京」の約40倍以上に達し、実効性能でも圧倒的に進化した。
- 富岳はCPUを国産ARM系に刷新し、消費電力あたりの性能を大幅に改善した。
- 富岳は4部門同時制覇という、スパコン史上でも稀な快挙を成し遂げた。
- 両機の違いは「速さ競争」ではなく「使いやすさ重視」への設計思想の転換にある。
スーパーコンピュータ「京」とは何だったのか
「京」は、理化学研究所と富士通が共同で開発し、2012年に本格稼働を開始した日本の国家プロジェクト型スーパーコンピュータです。名前の「京」は、10の16乗という数の単位に由来しています。
その名の通り、10ペタフロップス(1秒間に1京回の計算)という当時としては前人未到の性能を目指して設計されました。
「京」は2011年6月と11月の世界スパコン性能ランキング「TOP500」で、2期連続の世界1位を達成しました。世界で初めて10ペタフロップスの壁を突破した、記念すべきマシンです。
この計算能力は、創薬や気象予測、地震シミュレーション、材料開発など、幅広い科学分野で活用されました。それまで理論上でしか扱えなかった大規模な計算を、現実的な時間で実行できるようにした功績は非常に大きいものです。
後継機「富岳」が実現した性能の飛躍

富岳は「京」の後継機として、同じく理化学研究所と富士通が開発し、2021年3月に本格運用を開始しました。名前は富士山の異名「富岳」に由来し、「高さ(性能の高さ)」と「裾野の広さ(幅広い利用者層)」の両立を象徴しています。
性能の違いは、数字を見れば一目瞭然です。
実効性能の比較(ペタフロップス)
富岳の実効性能は約442ペタフロップスに達し、これは「京」のおよそ40倍以上に相当します。わずか10年ほどで、これほどの性能向上を実現したことは驚くべきことです。
そして富岳は2020年6月のTOP500で世界1位を獲得しました。
富岳は「TOP500」「HPCG」「HPL-AI」「Graph500」という主要4部門で同時に世界1位を獲得しました。これは単なる計算速度だけでなく、実用性の高さも証明した歴史的な快挙です。
京と富岳の設計思想の違い

両機の最大の違いは、単なる性能の数字ではなく、その根底にある設計思想にあります。
CPUアーキテクチャの刷新
「京」はSPARC64というアーキテクチャのCPUを採用していました。一方、富岳は「A64FX」という国産のARM系CPUを新規開発して搭載しています。
このARMアーキテクチャは、スマートフォンなどにも使われる省電力性に優れた設計です。この転換により、消費電力あたりの計算性能(電力効率)が大幅に改善されました。
省電力性を重視した並列処理の考え方については、並列処理での用語の使われ方を理解しておくと、スパコンの仕組みがより明確になります。
汎用性と使いやすさの重視
富岳の大きな特徴は、AI計算やビッグデータ解析にも対応できる汎用性です。「京」が科学技術計算に特化していたのに対し、富岳は幅広い用途に「使いやすい」設計を目指しました。
京の特徴
- 世界初の10ペタフロップス超え
- SPARC64アーキテクチャ採用
- 科学技術計算に特化
- 2011年に世界1位を獲得
富岳の特徴
- 実効性能は京の約40倍以上
- 国産ARM系CPU「A64FX」搭載
- AI・ビッグデータにも対応
- 主要4部門で同時世界1位
富岳が果たした社会的な役割

富岳の真価は、性能の数字だけでは語れません。実際の社会課題の解決に大きく貢献した点こそが評価されるべきです。
新型コロナウイルスの流行時には、飛沫の飛散シミュレーションを行い、感染対策のあり方に科学的な根拠を提供しました。マスクの効果や室内の換気の重要性を可視化した映像は、多くの方の記憶に残っているのではないでしょうか。
このほか、創薬研究、線状降水帯の予測、防災・減災など、私たちの生活に直結する分野で富岳は活躍しています。第一原理計算のような材料シミュレーションの基礎となる計算も、富岳の圧倒的な性能によって現実的な時間で実行可能になりました。
よくある質問
「京」は今も稼働しているのですか
いいえ、「京」は役目を終え、2019年8月にシャットダウン(運用終了)しました。その後、後継機である富岳の開発と設置が進められ、2021年に本格運用が始まりました。世代交代がスムーズに行われたことになります。
富岳は京の約40倍とのことですが、単純に40倍速いのですか
おおむねその理解で問題ありませんが、正確には計算の種類によって差が変わります。実効性能(LINPACKによる実測値)で比較すると約40倍以上ですが、AI計算などの特定用途ではさらに高い倍率になる場合もあります。
なぜ富岳はCPUをARM系に変更したのですか
主な理由は消費電力の削減と汎用性の向上です。ARMアーキテクチャは省電力性に優れており、大規模なスパコンでは電気代が莫大になるため、電力効率は非常に重要な要素になります。国産開発による技術的な自立も狙いの一つでした。
個人や企業も富岳を使えるのですか
はい、富岳は「共用計算資源」として、大学の研究者だけでなく民間企業も利用できる仕組みが整えられています。「裾野の広さ」を重視した設計思想の通り、幅広い利用者に開かれている点が「京」からの大きな進化です。
スパコンの性能を測る単位「フロップス」とは何ですか
フロップス(FLOPS)とは、1秒間に何回の浮動小数点演算ができるかを示す単位です。ペタフロップスは1秒間に約1000兆回、富岳のエクサ級に近い性能では、天文学的な回数の計算を毎秒こなしていることになります。
まとめ
「京」と富岳の違いは、単なる性能競争ではなく、日本のスパコン開発における設計思想の大きな転換を表しています。
「京」が世界初の10ペタフロップス超えという「速さの頂点」を目指したのに対し、富岳は「速さ」に加えて「使いやすさ」と「幅広い活用」を両立させました。実効性能で約40倍という飛躍を遂げただけでなく、コロナ対策や防災といった社会課題にも直接貢献した点は、後継機としての完成度の高さを物語っています。
これからスパコンについて学ぶ方は、まず両機の性能数値の違いを押さえ、その背景にある「なぜそう設計したのか」という思想まで理解を深めていくことをおすすめします。技術の進化の物語として、日本のものづくりの奥深さを感じていただけるはずです。